沿革 Geschichte
本協会の起源は1907年(明治40年)まで遡ることが出来る。
当時、神戸、大阪におけるドイツに関心を持った人達と在留ドイツ人達の間に、日独友好団体を組織しようという機運が高まり、「関西独和会」という名称の会が発足した。会長制を採らずに日本側からは山本治郎平医学士、ドイツ側ではイリス商会支配人コープス氏が世話人となって毎月例会が開かれた。この会合は、服部一二兵庫県知事や大久保利武大阪府知事をはじめ日独の名士50名ほどが集い、ホテルやレストランで行われ、しばしばドイツ歌謡の合唱や舞踏が催されて実に和やかなものであった。
「関西独和会」発足の1年後、1908年(明治41年)に東京において日独協会が創立された。桂太郎元首相や皇族方、元大臣らが代々会長に選ばれた格式ばったもので、民主的な関西独和会とは対照的であった。
第1次世界大戦後の1919年(大正8年)、ドイツ大使として着任したDr.Solf氏を迎えて佐多愛彦博士が時のドイツ総領事Dr.Ohrt氏の支援を得て大阪日独協会を創立した。協会は財界や学界の支援も得て盛況を呈し、元大臣高橋龍太郎氏が大日本麦酒株式会社技師長時代(後に社長)に吹田工場(現アサヒビール吹田工場)の庭園を毎夏の例会に提供し、「会員が夕風に流れるメロディーの裡、ホロニガ気分でローンダンスに興じた。」 このビール工場の芝生の庭の夏の例会は協会の伝統となった。
協会は時として特別な催しを行って日独親善に寄与した。例えば、ドイツ海軍練習艦の歓迎宴を行ったり、アインシュタイン博士他のドイツの世界的に著名な学者達の歓迎会や協会例会への招待も行った。
第2次世界大戦後8年を経て、1953年(昭和28年)6月月20日に大阪日独協会が新しく設立された。 初代会長には元大阪大学学長今村荒男氏が就任し、Hellenthal氏をはじめ歴代のドイツ総領事の支持・支援も得て、 ドイツ総領事館やドイツ文化センター(ゲーテ・インスティトゥート)との協力関係の中、 1963年の協会主宰によるリュプケ大統領の歓迎会やその他、様々な催し物やドイツ語講習会の開催を行い今日に至っている。 事務所は、最初阪大記念館にあったが、1962年に、協会に多大の支援をいただいたヤンマーディーゼル株式会社の別館に移り、その後現在地に移転し今日に至っている。